1804年、ニュイ・サン・ジョルジュから2キロほどの、オート・コート・ド・ニュイ地区のショーという小さな村で生まれたアルフォンス・グロから、一族の歴史が始まりました。アルフォンスはラトゥール家の娘ジュリーと結婚し、1830年、トゥルーヴ家がヴォーヌ村のコミュンヌ通3番地に所有していた家を購入して、新居とします。

この夫婦には二人 の息子が生まれ、その一方のルイ・ギュスターヴが、グノー家の娘レーヌを嫁に迎えて、父のあとを継ぎました。ルイ・ギュスターヴは、消費者向け直売の目的 で瓶詰めも行なった、この地区で最初の生産者たちの一人でした。1882年、リシュブールに2ヘクタールのブドウ畑を取得します。

ルイ・ギュスター ヴの息子ジュールは、ルノド家の娘ジャンヌと結婚しました。1914~1918年の第一次世界大戦に徴兵された二人の息子のうち、生還したのは一人だけで した。手足を失う重傷を負って帰還した息子ルイのために、ジュールは、レオンス・ボッケの資産が売却されたとき、クロ・ヴージョに二つのブドウ畑を買った のです。その数年後、ジュールは、グラン・エシュゾーを取得し、さらに、エシュゾーの古くから知られるリュー・ディ《レ・ロアショース》で、


あまりにも細分化されていた畑を3ヘクタールに再編成することに、その生涯を捧げました。

ジュールの息子ルイは、1951年に亡くなりました。その4人の子供たちは、ドメーヌを共有し、ワインを生産していましたが、1963年にドメーヌの分割相続が行なわれます。

  • ギュスターヴとコレットは、それぞれの相続分を統合し、ドメーヌ・グロ・フレール・エ・スールを設立します。ギュスターヴは1984年に世を去りましたが、その後継者として現在も経営しているのは、ジャンの息子ベルナールです。

  • ジャンとフランソワも、それぞれの相続分を統合し、1973年までは、グロ・ペール・エ・フィスという商号で生産していました。その後、ジャンは、ドメーヌ・ジャン・グロを、フランソワは、ドメーヌ・フランソワ・グロを、それぞれ設立します。

ドメーヌ・ジャン・グロは、1995年の収穫後、ジャンの現役引退をもって解散しました。ジャンが所有していたドメーヌは、その3人の子供たちに分け与えられたのです。ドメーヌ・フランソワ・グロは、フランソワの一人娘アンヌが引き継ぎ、父親が他界したとき、ドメーヌ・アンヌ・グロとなりました